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校長室だより 第12号
平成26年7月22日(火)

一学期終業式

 今日は、昨年度まで、市ケ尾高校の教頭だった先生が、私に残してくれた本についてお話ししたいと思います。

 先生は、この4月に他校に転勤されました。程なく職場で倒れられ、ご家族の懸命の看病も叶わず、お亡くなりになりました。今でも信じられません。

 私は、身近な人が亡くなったときいつも考えます。宇宙の歴史に比べればほんの瞬きでしかない私の人生のなかで、この人との出会いは、一体何を意味していたのだろう、と。

 教頭先生の市ケ尾高校での足跡を辿るうちに、昨年度のPTAの広報誌に「心に残る本」という記事を見つけました。教頭先生は、「大学1年の時に本がボロボロになるまで読み込んだ文章です。読んでいると遠くにある故郷に心が帰っていくような気持ちになります。」という言葉を添えてある本を紹介されていました。それが、小林秀雄の「信ずることと知ること」です。これは、昭和49年に鹿児島県の高校で講演したものを、改めて筆者が文章にしたものです。

 この文章を読み、教頭先生はどんな景色を見ていたのだろうと思うと、居ても立ってもいられず早速本を買い求めました。中央公論社の文庫「人生について」という本の中にありました。

 実は、私は若い頃から、小林秀雄の文章は苦手です。初めて読んだ本は覚えていないのですが、とにかく難解で理解できないという印象が強烈過ぎて、自ら進んで読む気にはなりませんでした。

 今回も、理解しやすい文章だとは思えませんでしたし、理解できたとは思えない、只々強靭な知性に圧倒されました。でも、何かを心で見たような気がしました。感動とは違う、戦慄ともいえる不思議な気持ちになりました。美しいものに出会えたと思いました。ここに書かれている「私たちは、それとは気が附かないが、心の奥底に、故人の心を、現に持っているということに他ならない。」その言葉が真実だとしたら、心が遠い故郷に帰っていくのも頷けるような気がしました。ボロボロになるまで読み込んだ、教頭先生の声が聞こえたような気がしました。

 この本は、ユリ・ゲラーの「念力の実験」の話から始まります。ここで、「不思議を不思議と受け止める素直な心が、なんと少ないか驚く。」と語られます。

 また、心理学者ベルグゾンの話の中で語られる言葉が心に残りました。私たちは、今まで経験したことの記憶をすべて持っていて、記憶自体はなくなっていない。ただ、有効に生活するために、いつも必要な記憶だけを思い出すようになっている、というのです。「私たちはみな、忘れる忘れると不平そうに言いますが、人間にとって忘れるのは難しい。生きるために忘れようとしているのが真相なのだ。例えば、山から転落する男がその瞬間に自分の子供からの歴史をパッと見るとかいう話は、よく言われる事実です。記憶が一時によみがえる。何故そうなるかというと、その時、その人間は、この現世、現実生活というものに対する注意力を失う、現実に対して全く無関心になるからなのです。」「人間の意識は、この世の中にうまく行動するための意識なのであって、精神というものは、いつでも僕らの意識を越えているのです。」

 柳田国男の「故郷七十年」という本の話の中では、柳田が少年時代に経験した「神秘的な経験」が紹介されています。彼は、体が弱く、茨木の布川という町に預けられている時、亡くなったおばあさんを祀った小さな祠の中の石に、おばあさんの魂を見るという不思議な経験をします。この話に、大きな感動を受けた小林秀雄は言い切ります。「自分が経験したことは、まさに確かに経験したことだという、経験を尊重するしっかりした態度を現したものです。自分が経験した直観が悟性的判断を越えているからと言って、この経験を軽んずる理由にはならぬという態度です。」

 この講演を録音したテープがあります。最後にその中の言葉を紹介します。

 「僕は信ずることと、知ることについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君なりに信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない。そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君に信ずるところとは違うのです。・・・・・信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違っているかもしれませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違えることもあります。しかし、責任はとります。それが信ずることなのです。信ずる力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。」

 人生の中で、自分に自信が持てなくなった時、辛い時、ぜひ読んでほしいと思います。

 自分の信ずることに責任を持つということは、自分を信ずるということです。

 本当の自分というのは、とても深いところにあって、それを発見できるのは自分しかいない。

 人間が自分の経験を全て運んで生きているのだとしたら、私たちは、かけがえのない今を大切に生きなくてはならない。

 教頭先生がこの文章を私に残してくれたのだと、私は信じました。

 


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